オストメイトで笑って生きる



社会復帰 私の退院直後 退院半年後 装具について 工夫と対応 余談
 

  私の退院直後

オストメイトになった原因の病が治ってるのか治療中なのか、その原因となった病が再発するものなのか等、いろんな不安を抱えたまま退院して社会に戻ることになります。
体力も落ちてるでしょうし、免疫や抵抗力も落ちているでしょうが、私の場合は早く病院から抜け出したかった。1ヶ月半の入院と8時間を超える手術でもうもうたくさん、そんな気持ちでした。
その思いだけで手術翌日からすぐに歩き始め、腹部にチューブが刺さった状態でも、朝も昼も夜も深夜も明け方もと、点滴スタンドを引いたままひたすら歩いてました。パウチに溜まる便の廃棄処理等の対応も覚え、 パウチの剥がし方を覚え、チューブが刺さった穴が開いたままの腹部をシャワーで洗いストマと周辺も洗う。とにかく必死に練習しました。 パウチの開口部をストマのサイズに切り、粘土を貼り、腹部に圧着する。まだ傷口に激痛がはしってる状態でしたが、しつこく日帰り外出を申請し、銀座の店まで出るようになったのは術後10日くらいしてからでした。
自営を営んでるせいで焦りもあり、術後2週間くらいで退院がオッケーになりましたが、すでに入院1か月半、体重は15キロくらい減ってました。
ところが退院後すぐに、ストマのすぐ下の皮膚が大きく爛れて傷になり、4センチ×6センチ、深さ1センチくらいの範囲で肉がえぐれ、そこに貼るパウチが不安定になってしまいました。
柔らかい毎日交換用の簡易パウチを使ってましたが、それでもパウチを貼り付ける箇所の傷ですから、自分で行う毎夜のパウチ交換治療の時には奥歯が粉々になるくらいの激痛が続きました。 シャワーの湯ですら飛び上がるくらいの激痛、その中でストマ周辺を指できれいに洗い傷口を洗浄する。肉がえぐれて穴になってる傷口に治療用の溶ける綿を詰め、 新しいパウチを貼る。毎晩1時間くらい唸りながら、風呂場でクタクタになってました。
寝る時はいつも傷が痛むので傷口を上にした右向きの姿勢でしか寝れず、それが5か月間も毎日続き、自営の仕事もやりながらの文字通りの生き地獄でした。
おかげで右半身は圧迫と凝りからおかしな病気になるし、肺もおかしくなり、いろんな病名をつけられては薬も増え、耐えられない日々になってました。担当の外科医チームもWOCもお手上げの原因の解らない傷でした。 この時はさすがに心身消耗し果てて、生きてることを諦めようとも思い始めてた。もう充分に生きた、このままこんな状態で生きるのは御免だ、そう周囲にも弱音を吐いていた。 そんな私を見かねて、担当外科医が知り合いの大病院の皮膚科部長を呼んでくれ、今までとは違う薬物を使った治療を始めたところ肉が盛り上がってきて、快方に向かい始めたわけです。九死に一生を得た感じだった。
こんな風に5か月間は毎日治療でパウチを交換してましたが、すでに退院3か月目くらいから、安静にするよりも動いて治すと立ち上がり、里山歩きとプール歩きも始めてました。振動だけでも痛みがはしるのに、 自分で運転して出掛けてました。
やっと3日で交換の普通のパウチが使えるようになるまで、半年もかかってしまいましたが、その失った時間を取り戻すべく毎週のように山に登り、なんども失敗してはメーカーに新しいサンプルをもらい、 自分の体型と行動に合うパウチを探し始めました。
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